今回はちょっと視点を変えて、住宅建築を、音楽や絵画などの芸術の中でも特に芸術性が高いものと並べて比較してみたいと思います。

picaso

根本のところで、音楽・絵画と住宅建築とは決定的な違いがあります。

現代の音楽・絵画は主に芸術家が自分のお金で買った楽器・画材を用いて作成します。
でも住宅建築の場合、それら楽器画材よりもはるかに多大な金額が必要で、その資金は全て施主であるお客様が出費されます。これは大きな違いです。

つまり、基本音楽・絵画は創り手だけが満足いくように創ってもいいものである、というか本来そうあるべきなのかもしれません。
でも全てお客様のお金で行われる住宅建築においてはそれでいいでしょうか?答えはNOですよね。
住宅の建築家は、自分の思うままにデザインの追求だけしをていて、それが許容されるものではないのです。
(対比として、中世の芸術にはパトロン(資金提供者兼庇護者)がいましたが、この場合の作品がパトロンの意向を無視する事ができなかったという事と、ひっくり返せば同じことになりますね)

ただしもしお客様に「あなたの思う通りにやって下さい、それが私の希望です」と言っていただけるケースなら別です。
でもこと住宅においては、お客様は毎日、何十年もその家の中で生きていくわけですので、住む方の希望や好みが反映されることの方がかえって自然で、その意味においても住宅建築はお客様の意向が根幹となるのです。

にもかかわらず、“アートとしては良いかもしれないけれど、でも例えば、「手摺の形状がデザイン優先で落下の危険の考慮が無い」「吹抜けを設ける際、冷暖房の効率改善策が無い」「生活の動線が非効率でデッドスペースは肥大し、暮らしやすさは後回し」「ドアを開けると便器や浴槽が丸見え」「生活とかけ離れたデザインの為だけの高額な工事費」等々、建築家のエゴを前面に押し出したような住宅設計が実在していることも事実です。

お客様のお金で必ずしもお客様が心から望んでいなかったものを造り、果たしてそれで良い住宅建築と言えるのでしょうか?
もちろん建築家として高度なデザインを提供する事は、設計士の持つとても重要な責務です。この面でお客様に十二分なご満足を感じていただき、かつそれが自分の設計の為ではなくお客様のためとなるように、自己を客観的に、時にセーブしコントロールしていくことが求められます。

設計がお客様のためになるには、デザインのみにとどまらない全ての点で欠点がなく、全体のバランスがとてもよく取れていることが必要です。

欲張りこそ住宅設計の基本

たくさんの夢と希望を期待以上の出来映え

では次に、どういう進め方がいいのかを考えていきます。

自分のデザインとお客様のご要望を足して2で割る。 
これは一瞬いいように聞こえますが、なんとなくいまひとつな響きが残ります。
建築家として妥協を強いられているようですし、なによりお客様のご要望まで半分になってしまいそうです。
違うものを強引に一つに合わせるなんて、打合せも楽しくなさそうです。

ベストは

「それぞれのお客様のご要望に対し、まずはお客様の立場に立って設計者自身がその要望を抱いてみる」そうすることで、お客様の視点での自分のデザインを生み出すことが可能になります。
これならば、建築家としてなんら妥協もなく、お客様のご要望に最適のアイデアが、初めから出てきます。
全体の大きな流れに逆らうことなく、自然に家造りが進んで行く。これなら打合せも楽しそうですね。
お客様に過程を楽しんでいただくことも、われわれ建築士の努めです。

住宅の建築家には、自分の創造への情熱だけでなく、お客様の対場に立って考える繊細な心遣いと、全体を俯瞰してまとめていくプロデュース能力が求められる。という事が出来るのではないでしょうか。

注文住宅の設計・建築は滝沢設計